先日ネットサーフィンをしていたら、食べ歩きをメインに紹介しているブログをみつけました。
もちろん筆者は全くの見知らぬ人なのですが、同じ食べ物について書いているということでちょっと見てみると、とても気になったくだりがありました。
それは・・・
「元々外食が好きだった。せっかくだからその料理のおいしい様子を伝えたくてこのブログを書き始めたのだが、テーブルに運ばれてきたらまず写真を撮らなくてはならない。だから、ここのところ最もおいしい状態で食べたためしがない(苦笑)」
というものです。
私はこれを見て、妙に納得。
まさに同じだからです。
まぁ、お料理に比べるとお菓子のほうがまだ食べ頃は限られていないように思いますが、運ばれてすぐ、おいしそう~の思いが一番盛り上がっているその勢いでいただきたいところ、それをぐっと我慢して写真を撮る。それもあれこれいろんな角度から。さらに、一口食べたところで、その断面を収めたいからまた撮る、と、こんな感じ。
これでは自分もさることながら、一緒に食べている方もなんだか興ざめですよね!?
ましてやブログなどに関心がない場合、コレにつき合わされたら相当キツそう。
お料理となれば、特に熱々のものなんかは、運ばれてきたその直後にフウフウしながら口に運びたいものです。
けれど、やはりブログに載せるとなると、同じようにその熱々のおいしそうな状態の写真を撮りたいですから、その食べ時をぐっと我慢して、写真に収めるのですよね。
すると、必然的に最高においしい食べ時は過ぎ、冷めるまでは行かないものの、ジュージューがおさまった頃に箸をつける、ということになります。
これは仕方が無いことなのですが、でもこれだとなんだかおいしい時をレポートするはずなのに、最高の状態を味わわずして感想を書く、ということになりかねません。
もちろん何度も食べているものならいざ知らず、初めてトライするものだとしたら、微妙なところ。
写真は我慢し、実際に味わってそれを如何においしかったと伝えるか、それとも写真をとてもおいしそうに撮り、その写真の状態を想像して如何においしそうに伝えるか、究極の選択です。
これと似たようなものが旅行先での記念撮影にもいえます。
素晴らしい景色や建造物を目の当たりにし、興奮して写真に収め続ける、また美術館などの作品を片っ端から撮り続ける、さらに、ショーなどでもシーンが変わるたび毎回撮り続け、ストーリーがよくわからなかったなんてこともありましたっけ。
帰宅してから写真を見るとそれはそれで楽しいのですが、実際写真を撮ることばかりに気を取られ、自分の目にしっかりと焼き付けていなかったことを後悔したりすることも少なくありません。
実は以前ツアーで海外旅行に行ったとき、見学先で皆熱心に写真を撮っていたら、ガイドの方が、「写真もいいですが、せっかくですからご自身の目でしっかりと本物を見ていってください。」とアドバイスしていたことがありました。
確かに。
とはいえ、この両方を確実にこなせなくてはならない方々もいます。
それは例えば様々な記者やジャーナリストといわれる職業の方です。
まぁ中には写真に収めるカメラマンとそれを伝える記者と役割分担する場合もありますが、そうではなく一人二役でレポートすることも普通にあります。
そういった場合、やはりこのどちらもが当たり前にこなせなくては仕事になりませんから、この限られた短い時間内でどうやりくりするかにかかわってくるのでしょう。
こうして考えると、ブログでの食べ物レポートも場数を踏んで、そのやりくりをどのようにうまくこなすかということにかかってくるのですよね。
ブログの大流行で、今や殆どの人がアーティストや記者やジャーナリスト状態。
おそらく、少しでもよりよいものが書けるよう、素人の方々も日々研究しているでしょうから、本業の方々もウカウカしていられないでしょうねぇ。
でも考えようによっては、プロもアマもみんなが勉強熱心になって、全体的にレベルアップしていくのでしょうから、ブログの流行も喜ばしいことなのかもと、考えるこの頃です。
私も最高においしい時を写真でも、そして自身の視覚、味覚でも堪能できるよう、練習を重ねたいものです。
PR